沿 革

 寛永五年(1628)開創。三国港の豪商 江波氏 が創建した草庵清向院が前身で、金𧮾山清向院西光寺とする。浄土宗寺院です。当寺に残る元禄九年(1696)の縁起書よると、

 

 「寛永九年(1632)八月十五日境地狭キニ依リテ、同所松ヶ下石切山ノ続キ葦原奥北ノ谷ニ、道閑コレコレ有ル本トナシ、ソノ外山谷の内ヲ買イ集メ、左右ノ山ヲ引崩シ、自ラ箕ヲ荷イ、鋤鍬ヲ取リ、難行大願御企テニ就キ、近辺ノ貴賎男女袂ニ砂ヲ入レテ通イ、裳ニ土ヲ請ケテ運ビ、深広ノ沼ヲ平地ト成シ、一山ノ廻リニ諸植エ、門前ノ左右ニヲ付ケ、六間半ニ七間ノ客殿、四間ニ六間の庫裡、惣門等 甍ヲ並ベテ、御建立大工は福居孫兵衛、開山并第二世総通上人ト棟札ニコレ有リ、則チ総通上人御自筆ナリ。」

 

とあり、竣工したのは正保三年(1646)と記されています。道閑は江波氏です。

 その後天明年間第21世万戒和尚の時続けざまに3度の火災にあい、当時は諸国が飢餓に悩まされた時代で檀徒は疲弊し物価高騰の状態で、暫く再建を見合わせていたが、寛政年間第23世瑩譽俊義上人の代に漸く諸堂が再建された。

 現在の伽藍の多くは当時のものである。

 

※天明は1781年~1789年 寛政は1789年~1801年までを指します。

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