ゆかりの人
「ゆかりの人・三好 學(みよし まなぶ)」
毎春、庫裏の前の桜の老木が見事な花を咲かせてくれ、境内には春の香りが漂う。
さて、桜の季節も過ぎた明治6年入梅の頃、11歳の少年が寺の門をたたいた。美濃岩村藩(岐阜県恵那市岩村町)から遠路三国湊入りした、後の東京帝国大学教授にして植物学者三好學(1861~1939年)である。前年に父を亡くした少年は、母方の伯父である中島性善住職*に預けられたのである。前年西光寺に誕生していた官立の小学校に入学、9年卒業し、福井市内の師範学校に学ぶ。明治11年岩村に戻り、明治18年東京大学理学部に入学。
近代植物学の開祖として、植物学研究の道を歩み、全国の天然記念物保存や桜の研究にも尽力する。明治45年、日本政府からワシントンに桜が贈られるとき、品種選定に努力したとされている。
西光寺創建まもなく400年。長い歴史のなかで、数多の方々が境内に足を運び、お御堂に手を合わせて来られた。三好 學は、当山ゆかりのお一人である。合掌
*武蔵野国の松平摂津守邸内で生を受けたが、士族を捨て仏門に入るべく西光寺に入った。慶応元年(1865年)、第29世住職に就く。37年間住職を勤め、本山の法主を除く最上の階層を極めた。子弟11名と修行中の者9名を育てた。
参考資料:みくに史学研究会研究紀要第8号 井上律夫著「植物学者の三好學」