かつて三国町には北前船が立ち寄る三国湊あり、全国に名だたる遊郭があった。「色道大鏡」(1678年)に記された全国25箇所の遊郭の1つに「三国松下」があった。その遊郭の中で最も位の高い地位の遊女は「小女郎」と呼ばれていた。その小女郎の墓が、境内の北方の一段高い所に唐破風屋根付き墓標が立っている。墓標面が剥落し法名等の判読が困難な状態となり、新しい石標が立てられている。